自分と農業と

「未来の食卓」という映画を見ました。フランスのバルジャックという村が、付近のガン患者の多さに危機感を覚え、地元の学校の給食を無農薬・有機栽培に切り替えていくドキュメンタリー。

内容自体も面白かったのですが、この映画を見て、自分が一時期、農業を志していたことを思い出しました。私は高校3年生で進路を決める時に、農学部に行こうと本気で考えていました。私の学校(小学校から一貫教育)は、小学校に「労作」という授業があり、皆で畑作業をするというものがありました。肥料を入れ、苗を植え、収穫もやります。加えて、高校では各クラスが畑を持っていたのですが、私のクラスでは誰も手入れをやりたがらなかったため、事実上私が私物化してトマト、サツマイモ、キュウリなどを植えていました。土が良かったのか、夏にはどっさりと甘いトマトが取れました。秋には、サツマイモの収穫にクラスの好きな女の子を誘って一緒に収穫したりもしました(従って私の初デートはサツマイモ畑ということになります)。

結局私は農学部には行きませんでしたが、常に「食」には高い関心を持ってきました。一義的には食べることが好きとなのですが、幼いころより食卓に上った食べものは絶対に残しませんでしたし、海外での一人暮らしの時には色々なレシピを試して料理をしていました。フランスにいた時には、AMAPという仕組みで地元の食材を買ったりもしていました。ネット上の記事から引用させてもらいますと、

国の援助に頼らずに生計を可能にした農業組織AMAPがある。現在フランスに1200以上あるAMAPは、生産者と周辺に住む消費者が契約を結ぶ提携システムで成り立つ。コミュニケーションを大切にし、消費者が求める安全な作物を育てるよう、生産者は最大限の努力を払う。消費者は生産者に6カ月から1年分の代金を前払いし、週に1度収穫物を取りに行く。こうして、生産者は資金繰りに困ることなく生産を続けられ、消費者自ら収穫物を引き取りに行くため、運送・梱包費用などのコスト削減にもなる。畑が忙しい時期には、時間のある消費者が無償で手伝うのも大きな特徴。畑に触れることで、食の安全や農業への理解は一層深まる。仮に悪天候が続き収穫がゼロだったとしても、払い戻しは一切ない。逆に豊作であれば、予定量よりも多くの農作物を消費者に提供する。また、消費者は野菜を選べない。その土地で、その季節に採れる野菜を農家から分けてもらうという考えだ。自分の食べるものを自分の目で確認し、好天を祈り、畑に従って献立を組む生活にリズムを変えることで、自然と農業に対して親しみや関心、感謝の念を抱くようになる。

http://www.newsdigest.fr/newsfr/features/3865-future-france-agriculture.html

このAMAPでは、一週間に一度野菜・果物・卵等を受け取りに行くのですが、消費者は何をもらうかを選ぶことができません。これは季節や天候によって生産者側が決めるのです。少し不便にも見えますが、常に旬のものが食べられるという利点があり、逆に「今ある素材でどうしよう」という発想になります。本楽、食事とはそういうものかもしれないな、と思いました。

今は私は環境と仕事にしていますが、農業、食は環境問題に非常に密接に絡んでいます。天職というものが「自分が心から情熱を注げる仕事」であるとするならば、農業や食、もしくはそれに関する仕事というのはアリなのかもしれないな、とふと思ったのでした。

 

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