英国EU離脱より大事なこと

昨日の晩(ワシントンDC時間)から、英国のEU離脱国民投票の結果を見てきた。英国で修士をやった身としてはやはりも気になるし、バスの中、布団の中、合唱練習の合間など、スマホでBBCをチラチラ見ていた。私は、結果はEU残留になるだろうと思っていたし、そうあってほしかった。

しかし結果は離脱。この結果について、色々な解説が出ている。EUから移民が英国の社会サービスを圧迫していること、EUの官僚体制、キャメロン首相の選挙戦略などなど。これらの解説はどれも一理あるだろう。しかしこの国民投票の結果は非の打ち所がなく、英国はEU離脱を選んだという結果は何人も否定できない。

だが、EU離脱という問題より根本に、より大きな問題があるように思えてならない。それは世界的に、社会が分断されてきているということだ。思いつきではあるが、この点について少し論じてみたい。

私は、自分はそれなりに英国とつながっていると思ってきた。ロンドンの大学院に行ったし、日本の大学で英国人(EU論を教えていた)教授のアシスタントもした。今の同僚にも英国人はいるし、今歌っている合唱団の指揮者は英国人だ。そして私の英国人の知り合いは、皆英国のEU残留を支持していた。

しかしよく考えてみると、私が知っている英国人像は偏っていることに気づく。彼らは学歴が高く、都会に住んでいて、国際感覚豊かな人たちばかりだ。外国人からするとそういう人たちと接することの方が多いが、これとは違う英国人もいる。それは地方に住み、生活が楽ではないが、地元愛が強く、人とのつながりを大事にするーそんな人たちである。そしてまさに、このような英国人がEU離脱を選択した。彼らはロンドンっ子と違って、EUが彼らの生活に直接便益を感じていない。都会の人と田舎の人はお互いを理解できず、溝が広がっていく。

英国のEU離脱は、このような「田舎の人」の反旗とみることができる。英国が最も心配すべきなのは、このような国内の溝が修復不可能なほど深まってしまうことだ。今回の国民投票でできた溝の修復にはしばらく時間がかかるだろうし、溝が埋められなければ英国自体が分断という自体になりかねない。スコットランドはEU残留派が強いため、(以前に否決された)スコットランドの独立投票をもう一度やり直すと言っている。そしてこれは、英国だけの話ではない。米国にも同じような分断ができ始めており、トランプ氏はその分断の最前線にいる。世界を知り、アメリカをより良くしていこうという人々がいる一方で、移民やら戦争やら自由貿易やらややこしいことに巻き込まれずに、普通の生活を守りたいという人々も確実にいる。これは日本や他国でも大なり小なり同じ傾向があると思う。

私は根っからの都会っ子だし、国際的な人の部類の入るだろう。私のような人々は、旅行ぐらいでしか田舎にいく機会がない。となりのトトロの映画のような生活に憧れがあるが、基本的に私は田舎の普通の人の生活や考えについて極めて無知である。このうような無知な人が増えていおけば、最終的には国を分断しかねない。世界的に都市化が加速していることを考えると、この分断はより深くなるだろう。

では、どうすればいいのか。第一歩としては、都会人が、外国だけでなく自分の国の田舎をよりよく知ることだ。テレビやネットで見るだけでなく、実際に足を運び、観光名所ではないごく普通の生活や人々と接点を持つことだ。世界的に大都会はどこもある程度似たような感じになりがちだが、地方・田舎に行くと、その国独自のカラーが出てくるし、またその国の本質により近づくことができる。それはその国の全体像を理解するうえで、欠かせないものだ。私は仕事柄アフリカに出張することが多いが、アフリカにおいて田舎と都会はまるで別世界のようであり、田舎を見ずして国を理解した気になってはいけないと常々気をつけている。

英国のEU離脱より重要なこと、それは各々が自国をより理解することだ。都会の人々が良くも悪くも田舎を理解し、国の全体を理解し始めたならば、より良い世界作りにに少し貢献できるのだろうと思う。

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まもなく渡米。

10月6日に、ワシントンDCに渡ります。新生活の始まり、とおもいきや、台風直撃のため空港近くのホテルでまったりしています。ちゃんと飛んでくれるだろうか?

これを機にまたブログをもう少し頻繁に更新していきたいと思います。続くだろうか。頑張る。

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自分と農業と

「未来の食卓」という映画を見ました。フランスのバルジャックという村が、付近のガン患者の多さに危機感を覚え、地元の学校の給食を無農薬・有機栽培に切り替えていくドキュメンタリー。

内容自体も面白かったのですが、この映画を見て、自分が一時期、農業を志していたことを思い出しました。私は高校3年生で進路を決める時に、農学部に行こうと本気で考えていました。私の学校(小学校から一貫教育)は、小学校に「労作」という授業があり、皆で畑作業をするというものがありました。肥料を入れ、苗を植え、収穫もやります。加えて、高校では各クラスが畑を持っていたのですが、私のクラスでは誰も手入れをやりたがらなかったため、事実上私が私物化してトマト、サツマイモ、キュウリなどを植えていました。土が良かったのか、夏にはどっさりと甘いトマトが取れました。秋には、サツマイモの収穫にクラスの好きな女の子を誘って一緒に収穫したりもしました(従って私の初デートはサツマイモ畑ということになります)。

結局私は農学部には行きませんでしたが、常に「食」には高い関心を持ってきました。一義的には食べることが好きとなのですが、幼いころより食卓に上った食べものは絶対に残しませんでしたし、海外での一人暮らしの時には色々なレシピを試して料理をしていました。フランスにいた時には、AMAPという仕組みで地元の食材を買ったりもしていました。ネット上の記事から引用させてもらいますと、

国の援助に頼らずに生計を可能にした農業組織AMAPがある。現在フランスに1200以上あるAMAPは、生産者と周辺に住む消費者が契約を結ぶ提携システムで成り立つ。コミュニケーションを大切にし、消費者が求める安全な作物を育てるよう、生産者は最大限の努力を払う。消費者は生産者に6カ月から1年分の代金を前払いし、週に1度収穫物を取りに行く。こうして、生産者は資金繰りに困ることなく生産を続けられ、消費者自ら収穫物を引き取りに行くため、運送・梱包費用などのコスト削減にもなる。畑が忙しい時期には、時間のある消費者が無償で手伝うのも大きな特徴。畑に触れることで、食の安全や農業への理解は一層深まる。仮に悪天候が続き収穫がゼロだったとしても、払い戻しは一切ない。逆に豊作であれば、予定量よりも多くの農作物を消費者に提供する。また、消費者は野菜を選べない。その土地で、その季節に採れる野菜を農家から分けてもらうという考えだ。自分の食べるものを自分の目で確認し、好天を祈り、畑に従って献立を組む生活にリズムを変えることで、自然と農業に対して親しみや関心、感謝の念を抱くようになる。

http://www.newsdigest.fr/newsfr/features/3865-future-france-agriculture.html

このAMAPでは、一週間に一度野菜・果物・卵等を受け取りに行くのですが、消費者は何をもらうかを選ぶことができません。これは季節や天候によって生産者側が決めるのです。少し不便にも見えますが、常に旬のものが食べられるという利点があり、逆に「今ある素材でどうしよう」という発想になります。本楽、食事とはそういうものかもしれないな、と思いました。

今は私は環境と仕事にしていますが、農業、食は環境問題に非常に密接に絡んでいます。天職というものが「自分が心から情熱を注げる仕事」であるとするならば、農業や食、もしくはそれに関する仕事というのはアリなのかもしれないな、とふと思ったのでした。

 

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フィリピンと温暖化と自分と。

現在ポーランドで行われているフィリピン交渉団代表のスピーチ。先日フィリピンを直撃した台風の被害と気候変動の関係を指摘し”We can fix this madness”と訴えています。心を動かされるスピーチです。ちなみにこのスピーカーのSano氏には会ったことがあります。バルセロナでの会議で、昼食の列に並んでいた時、たまたま隣だったので話していました。

私は仕事を始めて以来4年間、ずっと気候変動政策には関わっており、今もそうです。しかし残念ながら世界の温室効果ガスは増える一方で、気候変動も加速する一方です。日本でも今年のような猛暑、激しい台風などはより数を増してくるはずです。環境を仕事をする者として、無力感を感じます。本当に人間は気候変動を止められるのか、と。

また、さらに言えば、温暖化を止めようとして失望するよりも、今回フィリピンに派遣されている医療専門家チームの方が輝いて見えます。温暖化を止める側よりも、温暖化の脅威に晒されている人に手を差し伸べた方がいいのではないか、と。

無論両方大事なのでしょうが、少し考えてみようと思います。

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ミャンマーと日本企業と環境と

先週、ミャンマーに行って来ました。最大の都市であるヤンゴンと、首都であるネピトーの二つを訪問です。

ミャンマーと日本企業

ミャンマーは、「アジア最後のフロンティア」と言われ、企業、特に日本企業の進出が加速しています。先月の安倍首相の、企業団を引き連れてのミャンマー訪問は記憶に新しいところです。日本企業の中国離れも、ミャンマー投資熱に拍車をかけているようです。

ミャンマーは地理的に非常に戦略的な位置にあります。戦略的というのは、1)インドと中国という大国に挟まれており、2)中国にとって、天然ガスを供給する重要な拠点であり、3)インドと東南アジアをつなぐ港湾としての可能性を秘めており、4)タイ・ベトナム・カンボジアなどが欧州へ輸出する際への(マラッカ海峡を回避する形での)代替海運ルートを提供できる、といった側面があります。下記Economist誌のリンクが、地図を用いてわかり易く説明してくれています。http://www.economist.com/blogs/graphicdetail/2013/05/daily-chart-9

その一方で、日本企業は、視察と面談は積極的に行うものの、実際に投資・ビジネスを行う段階になると、二の足を踏む企業が多いようです。そのため、日本はミャンマーで「NATO-No Action, Talk Only」というあだ名すらついてしまっています。ただし実際、企業の観点からすると、まだまだミャンマーというの国はリスクが高いと感じるようです。電気・水道・道路などのインフラが未整備であり、かつ政治的な意向に企業が振り回される、というのが大きな理由と聞きました。日本企業は、中国や韓国に比べて特にリスクを嫌うという側面もあるかも知れませんが、ミャンマーへの投資が、噂されているほど魅力的でないという面は確かにあるようです。

ミャンマーと環境

ミャンマーは昨年にやっと環境保護法なるものができたばかりです。しかし、その法律を実施していく段階になると、さらに様々な細則、計測が必要となるため、まだまだ未整備というべきです。しかし、政府としての環境問題への意識は高いらしく、近隣諸国が辿ったような汚染形の発展を避けたいという意思はあるようです。今回、ヤンゴン市の廃棄物処分場を視察しましたが、ひどいものです。本当に、空き地にひたすらゴミを積んでいるのみで、悪臭は相当なものです。この日の視察のときに履いていた靴は、しばらく匂いが取れませんでした。

環境問題は、廃棄物の問題のように現実的な問題として存在しますが、同時に新生ミャンマーの政治的なアピールとしての意味もあるようです。このアピールは、下記のような場において重要となります。

  • 今年12月に、隔年で開催される「2013年東南アジア競技大会」がミャンマーで行われます。これは東南アジア版のオリンピックのようなもので、多くの人がミャンマーを訪問し、ミャンマーの現状を見ることとなります。
  • ミャンマーは2014年からASEANの議長国となることが内定しており、新生ミャンマーの地域における政治的指導力を試されています。
  • 2015年に大統領選挙を控えており、アウンサンスーチー氏も出馬意向を示しています。すなわちこの選挙は、現在の軍色の強い与党と、スーチー氏の対決となる可能性が高いと言えます。

このあたりに関して、今年初めに業界誌に記事を書いていますので、興味がある方は御覧ください。以上宣伝でした!

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左上:ヤンゴンのパゴダ(ミャンマー式寺) 右上:ヤンゴン周辺のゴミ埋立地
左下:ミャンマーの米麺   右下:ミャンマー環境省(打ち合わせにて)

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「途上国開発とそのジレンマ」ゲスト講義

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今日は、大学で講義をするという非常に貴重な機会を頂きました。友人の持っている、高千穂大学での「地域開発」の授業です。この主題とは少しずれますが、「途上国国開発とそのジレンマ」というタイトルでの講義をさせてもらいました。

内容は、

①途上国と先進国の明確な差はすでに消滅している。
②これは、世界規模での経済成長によるところが大きい。
③経済成長が教育や福祉などの根本でもあることから、世界の殆どの国が経済成長を目指している。
④しかし、地球の資源制約・環境制約を考えると、世界全体が先進国レベルの生活はできない
⑤よって途上国開発はジレンマに直面する。

というものです。Hans RoslingのGapminder.orgの動くグラフや、ウルグアイ大統領のRio+20でのスピーチなどの力を借りて、できるだけ退屈させないようにしました。

最後に、

1.いわゆる「途上国」は、日本や欧米諸国のような生活を目指す権利があるか。

2.すでに「先進国」である日本は、さらに経済成長を目指すべきか。

という問を議論してもらいました。これはかなり根本的かつ大きな問いであり、自分自身も答えを持っていません。しかし4-5人でのグループワークはかなり盛り上がったようで、面白い意見もいくつかでました。例えば、

「途上国に豊かになる権利はあるが、そうしなければならないわけではない」

「日本のような国は、途上国に技術を環境技術を分けて、先進国の過ちを繰り返さないようにすべき」

「日本に経済成長は必要なく、何か別の道があるのではないか」

など。これらはいずれも、もっと深い考察が必要と思いますが、議論の時間が10分しかなかったことを考えると、十分かな、と思います。何人かはさらに議論するため、授業の後に話をしに来てくれました。

自分は大学で教えるということが自分に向いているかどうか確かめたい、と思っていたので、今回は非常に良い経験をさせてもらいました。大学の講義というのは、自分が勉強、研究してきたものをどれだけ他人に伝えられるか、という試験の場でもある、という風に思います。学生はお世辞で褒めてくれることもなく正直なので、ある意味かなり厳しい試験とも言えるのかもしれません。今日、学生側が本音でどう感じたかは神のみぞ知るところですが、手応えはあったと思います。

また、講義の準備の過程で、如何に自分の知識が断片的かということを思い知らされました。とくに環境業界にいると、この講義でやるようなことはもはや前提となっているため、あえて根本の「なぜ」を伝えることに慣れていないのです。また、上に挙げたような質問に明確に答えられる人は(私も含め)非常に少ないと思います。

講義を通じて学生が色々と物事の本質を考えて、さらにはそれを自分の人生の方向付けにつなげてくれれば、大学の任務は達成されていると言えるのでしょう。そんな講義ができるようになりたい、と思います。

今日の発表資料です。グラフと動画はクリックすると、本家のWebサイトに飛びます。最初の写真は、国当てクイズのためのものです。

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モンゴル ―石炭の国ー

6月末、モンゴルに行ってきた。ちなみに私は年5回ぐらいのペースでモンゴルに行っている。自分は仕事で日本政府による途上国でのCO2削減制度に関わっており、モンゴルはこの制度で協力していくことになった第一締結国だからだ。大学の時も含めると、今まで合計9回にモンゴルに行ったことになる。今回は、このモンゴルについて少し書いてみたい。モンゴルの人口は全体で300万弱である。これは、横浜市より少ない。その一方で、国土面積は日本の4倍ほどあるのだから、その広さは羨ましい限りである。人口がこのレベルだから経済大国とはいかないが、GDPだけを見れば2桁成長が当たり前の、超成長国である。ただしその経済の多くを鉱物なの資源輸出に頼っている側面は否めない。モンゴルは銅などの鉱物がが取れ、石炭も豊富にあるのだ。

私の仕事は、この石炭のためにあると言っても過言ではない。モンゴルはエネルギー供給の95%以上を石炭に依存している。特に冬場は零下40度あたりまで下がるため、首都ウランバートルの発電所では石炭をガンガン燃やし、電力と熱を供給する。学校、病院などの公共施設では敷地内にHOB(Heat-only Boiler)と呼ばれるボイラーがあり、常に石炭を燃やしている。さらにウランバートル郊外では、半分スラムのようなゲル(モンゴル式テント)があり、それぞれのテントで生活のために石炭を燃やす。そんなこんなで、冬場のウランバートルは石炭の大量消費により、大気汚染がものすごい事になる。そのひどさは、北京をしのいで、アジア2位(一位はイランのどこかだったと聞いている)と言われている。

石炭はついでに、CO2大量に出すわけで、だからこそ上述のような日本政府の制度が歓迎されるわけである。ちなみにモンゴルは、第二次大戦時は日本と戦った仲であるが、非常な親日国である。仕事で会う相手にも、日本語を話せる人は少なからずおり、日本留学経験者も多い。日本はこのような国との関係を大事にしていくべきだろう。先日、安倍首相がわざわざモンゴルに足を運んだのは、正解だと思う。

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写真は、石炭を燃やすゲル。また別の機会に、色々書きますね。

 

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